フランスの画家アンリ・ルソーについて 主な作品とピカソとの関係 『夢をみた』は存在する?
フランスの画家アンリ・ルソーについて調べてみました。ルソーの主な作品とピカソとの関係や、あの小説に出てきた『夢をみた』は存在するのか?といったことも調べてみました。また、ルソーの作品が見れる美術館の紹介や、アンリ・ルソーの作品を見られるおすすめ書籍の紹介もします。
もくじ
画家アンリ・ルソー
フランスの画家アンリ・ルソー、正しくはアンリ・ジュリアン・フェリックス・ルソー(Henri Julien Felix Rousseau)といい、フランスの素朴派の画家です。
ルソーは1844年5月21日に生まれましたが、画家として本格的に絵を描き始めのは40歳を過ぎた頃からと、ずいぶんと遅くからのスタートでした。
しかも普段はパリ市の税関職員をしていたために、休日にしか絵を描くこともままならず、そのために「日曜画家」とか「ドゥアニエ・ルソー(税関吏ルソー)」などと揶揄されていました。
その後、50歳を前にルソーは税関職員を辞め、早々に定年して絵を描くことだけに専念します。そのため、ルソーの代表作の大部分はルソーが税関を退職した後の50歳代に描かれたものが大半を占めています。
生前中のルソーの絵は殆ど売れず、絵の具や画材のために描いた絵は借金の形に二束三文で引き渡したり画材屋に廃カンヴァスとして引き取られたため、特に初期の多くの作品は日の目を見ぬまま葬られてしまっています。
画家としての教育を全く受けたことのないルソーは、当時のフランスのアカデミックな美術界からは無視され続け、展覧会に出展されることもままなりませんでした。
しかし、1884年に立ち上げられた独立芸術家協会の主催による、誰もが出展料を払えば展示できるアンデパンダン展が開催されてから、ルソーもこの展覧会に自作を展示し始め、世に少しずつ存在が知られるようになります。
ルソーは1886年のアンデパンダン展の第2回から1910年9月2日に66歳で亡くなる年まで、ほぼ毎年このアンデパンダン展に出展し続けました。
アンリ・ルソーとパブロ・ピカソ
遅くから絵を書き始め、アカデミックな美術界からも無視されたルソーが日の目を見るきっかけとなったのは、ピカソの存在が大きいと言われています。
ピカソはルソーよりもだいぶ若い画家でしたが、新進気鋭の画家として同時代のパリで頭角を現し始めていました。
そんなピカソが骨董屋で二束三文で売られているタブローの中にルソーの絵を見つけ、それをわずか5フラン(今の2000円くらい)で購入し持ち帰りました。その絵とは、『女の肖像』(1895年)という作品です。
ルソーの才能にいち早く気づいたピカソは、この『女の肖像』を掲げ、自分のアトリエで多くの芸術家仲間を呼んでルソーを称える夜会を開催します。そのときは、マックス・ジャコブやマリー・ローランサンなど当時のパリ・モンマルトルを拠点とする多くの芸術家が集まり、ルソーを称えたそうですが、多くはルソーを知らないために冗談のパーティーのように参加していたようです。
そんなルソーはパブロ・ピカソをはじめ、ロートレックやゴーギャン、アポリネールといった画家らに理解され、徐々に評価されるようになります。既にその頃のルソーは50歳を過ぎており、まだまだ画材を捻出するのままならないほどの貧乏画家でした。
ルソーの生前中は彼の作風は賛否両論といったもので、最晩年になってこそ画商や各国の富豪からの注文も増え始めたようですが、大きく評価されるようになったのはルソーの死後のことです。
しかし、もしもルソーの描いた絵があのときにピカソに発見されていなかったら、ひょっとしてアンリ・ルソーという画家は永遠に闇に葬られていたかもしれません。
ルソーの主な作品
ルソーの代表的な作品の多くは、税関を退職した後似、絵画に専念し始めてからのものが大半です。
退職前の主な作品としては、
- 『カーニバルの夜』(1886年)
- 『私自身:肖像=風景』
があります。
また、退職後の作品としては、
- 『戦争』(1894年)
- 『眠るジプシー女』(1897年)
- 『蛇使いの女』(1907年)
- 『ジュニエ爺さんの二輪馬車』(1908年)
があります。
日本で見られるルソー作品
実はルソーの作品は、ここ日本でもいくつか実物を見ることが可能です。
各美術館が所蔵するルソー作品を列挙しておきます。
ポーラ美術館
『エデンの園のエヴァ』(1906-1910年頃)
『廃墟のある風景』(1906年頃)
『『モンスーリ公園』のための習作(あずまや)』(1908-1910年)
『ライオンのいるジャングル』(1904年)
『飛行船「レピュブリック号」とライト飛行機のある風景』(1909年)
『エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望』(1896-1898年)
『ムーラン・ダルフォール』(1895年頃)
『シャラントン=ル=ポン』(1905-1910年頃)
ハーモ美術館
『花』(1910年)
『果樹園』(1886年)
『ラ・カルマニョール』(1893年)
『釣り人のいる風景』
『”モンスーリ公園の眺め”のための下絵』
『マルヌ河畔』
『郊外』
『散策者たち』
世田谷美術館
『サン=ニコラ河岸から見たシテ島(夕暮れ)』(1887-1888年頃)
『フリュマンス・ビッシュの肖像』(1893年頃)
『戦争あるいは戦争の惨禍』(1894-1895年)
『散歩 (ビュット=ショーモン)』(1908年頃)
ブリヂストン美術館
『イヴリー河岸』(1907年頃)
『牧場』(1910年)
東京国立近代美術館
『第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神』(1905-06)
山形美術館
『工場のある町』(1905年)
サントリーミュージアム 天保山
『パッシィの歩道橋』(1895年)、『オステルリッツ駅から左側を見た風景』(1909)
大原美術館
『牛のいる風景-パリ近郊の眺め、バニュー村』(1909年)
ひろしま美術館
『要塞の眺め』(1909年)
興味のある方は、ぜひ足を運んでみてください。
作品『夢をみた』は存在する?
原田マハさんという作家の『楽園のカンヴァス』という作品では、アンリ・ルソーの『夢』という作品を中心に、ルソーとその作品にかかわる人たちの物語が描かれています。
ルソーに興味がある方はもちろん、そうでない方にも、とても面白く読める『楽園のカンヴァス』ですが、その中にルソーの『夢』と対になる『夢をみた』という作品があったのではという話が出てきます。
その作品にはピカソの作品とも大きく関わっていたのではないかといった話でもあるので、この小説を読むとピカソファンもルソーファンも、『夢をみた』という幻の作品にとても興味が惹かれます。
では、実際に『夢をみた』という作品があったのかどうか。
とても気になるので調べてみたのですが、もちろんアンリ・ルソーの『夢』という作品は存在します。しかし『夢をみた』という作品は、どうやら存在しないようです。これは原田さんの物語の中で作られた架空のルソー作品のようです。
でも、この小説、すごく良くできていてとても面白いです。誰が読んでも面白いと思うのですが、特にピカソやルソーに興味のある方が読むと、なお一層ワクワクドキドキしながら読めるのではないでしょうか。
とても良い作品なので、ぜひ読んでみてください。
まとめ
実は私自身も原田マハさんの『楽園のカンヴァス』を読んだことで、アンリ・ルソーに興味を持って調べ始めたのでした。
ルソーの存在は知ってましたが、それほどマジマジと作品を見ることはこれまでありませんでした。しかし小説を通して興味を持ち調べていくうちに、非常に興味深い画家であり、作風も私が好きなものであることが分かりました。
ただ、大判のルソーの画集などはあまり見当たらず、図書館などに行っても見つかりませんでした。唯一作品がまとまって見られるのがルソー自身が書いた『アンリ・ルソー 自作を語る画文集 楽園の夢』(八坂書房)というものでした。
今後展覧会などがあれば、そこで画集を購入することもできるかもしれませんが、もしもこれまでのルソーの作品をまとめてみてみたいという方がいたら、上記の本はおすすめです。
何よりルソーが自分の作品や自分自身について語っていますから、そのあたりもとても面白く興味深いのです。