我慢に対する価値観の変化について語る!昔は美徳で今は永遠に解決しない最低な方法

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我慢って好きですか?

何の根拠もなく、事あるごとに、

  • 我慢しなさい
  • 我慢が大事
  • 我慢すれば良いことがある

といった、もはや洗脳に近い言葉で、その場をやり過ごそうとする大人が多かったのですよ、昭和の時代は。

筆者は我慢という言葉は嫌いです。

何の解決にもならない悪魔の言葉という印象しかありません。

我慢は美徳とされたのは、解決能力が欠落した人間が多かったからではないかと考えています。

我慢して良いことはない

生きてきた中で我慢して得たことに対しては、正直、良い思い出としては残っていません。

完全にトラウマの上に成り立っているわけですから、思い出したくもない訳です。

我慢が大事とか、訳知り顔で口に出す人の気が知れないですよ、ホントに。

はっきり言って我慢は毒でしかありません。

我慢が大事と言いながらも、一切、我慢していない人が多いこともムカつくわけです。

例えば、飲まないとやってられないと言う人がいますが、とや我慢が大事なら、アルコールのチカラに頼らずに我慢したらいいじゃないと言いたくなります。

結局、我慢という言葉に酔っているだけなのですよ、人に対して口に出す人は。

ゆえに信用に値しません。

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昔は美徳で今は毒

これは我慢に対する筆者の考え方です。

いつぞやか忘れましたが、とある学校関係者が、教室内のエアコン設置について、このように述べていました。

エアコンなしで我慢するのも勉強

本人は涼しい場所で執務しているわけです。

とある自治体のトップなども似たような思想を持っている人がいたことも記憶しています。

7割の小中校で未設置 教室のエアコン設置が進まないのはなぜ?(THE PAGE) – Yahoo!ニュース

精神論が大好きな人が好んで使うのが「我慢」という言葉ではないでしょうか。

しかも本人は快適な場所で執務してるはず。

我慢してきたから?

意味不明です。

運動時の水分補給は体に悪い論

昭和の定番だっだアホ理論は、今では日本の黒歴史と言っても過言ではありません。

これも我慢がベースです。

理論は無視、全ては根性や精神が鍛えられていないからだという、ナゾ理論が採択されていたのではないでしょうか。

それがまかり通っていたのですから、クレイジーとしか言いようがありません。

筆者も「水は飲むな」で育った世代ですが、構わず飲んでましたよ。

汗が出る、水分の補充は必要という単純な考え方です。

疲れるとかありませんし、逆に生き返りますよ、水の力で。

当時、偉そうに言っていた人の気持ちを聞きたいですね。

素直に「私はバカでした」という反省する人も少ないとは思いますけどね。

ちっぽけなプライドが邪魔をして間違いを認めない人ほど、精神論や根性論を好んでいた印象が強いですから。

あくまでも個人の意見です。

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アドバイスの「我慢しろ」は最低

相談に対して「我慢しろ」と返されると、相談した相手を間違えたと認識した方が良いです。

全くの時間のムダで、解決する気は無いからこその逃げの言葉として使ったか、相談した相手に問題解決能力が無いかとのどちらかでしかありません。

我慢したところで環境が変わらないです。

ストレスが蓄積されていくだけで、百害あって一利なしと言えます。

「我慢すれば良いことがある」

これも絶対的な保証はなく、問題を引き延ばしているだけです。

我慢の対価が褒美なんて、そんな理論は誰が作り上げたのでしょうか?

まとめ

「我慢に対する価値観の変化について語る!昔は美徳で今は永遠に解決しない最低な方法」というテーマで、問題解決に全くならない我慢について書きました。

個人的に嫌いな言葉のナンバーワンである「我慢」は、経験上、何のメリットもありません。

我慢しろ=現状維持ではなく、時間の経過とともに悪化する方向にしか進まないものです。

自ら行動を起こさない限りは変化は起こりません。

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