【九州の高校の修学旅行】昭和と令和でどう変化?時代とともに魅力ある行き先と世代感
修学旅行は、高校生活の一大イベントのひとつです。
今、まさに我が子が真っ最中(2/9~)でして、自分の頃はとつい比較してしまいます。
時代とともにその内容は大きく変化してきことがモロに分かるので、昭和時代の修学旅行と、令和時代の修学旅行を比較しながら、世代感を共有したいと考えて、テーマにした次第です。
ちなみに我が配偶者は平成時代に修学旅行に行ってますので、家族で各年代を経験していることになります。
注)筆者の出身の都合上、主に九州の高校、実体験が情報のベースとなっています。ご了承ください。
もくじ
昭和時代の修学旅行
昭和時代の修学旅行の代表的な行き先と言えば、
- 京都・奈良・日光などの歴史的名所
- 長野県のスキー場 ←筆者はココ
- 海外(ハワイなど)
が定番でした。
一応、修学ですから日本の伝統文化や歴史を学ぶことが建前目的です。
移動手段
筆者の場合は、新幹線で名古屋下車、そこから長野県までバス移動です。
のぞみが走ってない時代ですから、ひかり号に乗車しました。
家族に大ウケしたのは、「新幹線にスムーズに乗車するための練習」が行われたこと。
何せ、1学年450名(少子化なんてなかった時代)での大移動ですし、新幹線は、そんなに待ってくれません。
まだ全然、乗り込んでないのに、発車ベルがけたたましく鳴り、やや顔を引きつらせていそいそと乗り込む生徒がたくさんいましたね。
宿泊スタイル
旅館や民宿が主流な中で、筆者はホテルでの宿泊です。
が、ベッドなんてしゃれた客室ではなく、畳の部屋に8人ぐらい放り込まれて、布団を敷いて泊まったものです。
よくある、イス2脚と丸テーブル付き。
大浴場に皆で入るのも、修学旅行ならではの体験でした。
活動内容
いわゆる名所組は、寺社仏閣の見学や歴史的建造物の訪問が中心で、班ごとに行動することが基本です。
観光名所のガイドを聞きながら、メモを取ることが求められることもあったとか。
我々はひたすらスキーです。
スノボなんてありませんから、スキー三昧です。
レンタルのウェアも男子は紺一色とか、女子は赤一色とか、シンプルと言いますか昭和っぽいですよね。
スマホなしの連絡手段や記録方法
当時はスマートフォンが存在せず、携帯電話も当然、普及していません。
ポケベルすらありませんよ。
ゆえに、万一の時の親への連絡は、客室にある黒電話かロビーにある公衆電話です。
ちなみに客室の黒電話は、内線以外は使用禁止されました。
記念なるシーンを納める場合もデジカメなんてありませんから、もっぱら「写ルンです(1986年発売)」が手段。
ですが、誰も持って行ってなかった記憶が・・・。
手元にも自分で撮ったスナップ写真は一枚もないですし。
そもそもスキー三昧なので、写真なんて撮る暇なかったのですよ。
令和時代の修学旅行
令和時代の修学旅行は、昭和時代(主に筆者と我が子)と比べて大きく変化しています。
しかも4泊5日と長い・・・。
まあ、昭和の時代もハワイだとかであれば、5泊7日なんて学校もあったと記憶しています。
筆者は確か3泊。
行き先の多様化
京都や奈良といった伝統的な観光地はやや減少して、沖縄や北海道、さらには海外へ行く学校も増えています。
もはやリゾートでの観光で、異文化体験やアクティビティが重視されています。
だけども一応は修学なので、しおりに書かれている学校側の修学旅行の目的とかを読んでみると、むりやり学びに結び付けている書き方をしていまして、つい顔がニヤけます。
ちなみに我が子は、新潟県でスキーをして、その後は南下して東京ディズニーリゾートという流れです。
うらやましいったら、ありゃしない。
移動手段
新幹線や飛行機を利用することが一般的になり、移動時間も大幅に短縮されています。
のぞみですから新幹線移動は、明らかに楽になっています。
荷物はスーツケース、いわゆるコロコロが主流ですが、前々日に陸送で宿泊場所まで配送するので、当日はほぼ手ぶらという身軽な状態です。
移動も疲労も少ないでしょう。
我々はボストンバッグ主流で、荷物の先送りなんてありませんでしたよ。
宿泊スタイル
ホテルやコンドミニアムなど、宿泊施設の選択肢が広がりました。
プライバシーを重視する傾向もあり、少人数(3人~4人)ごとの部屋割りが基本です。
ただ、誰と同じ部屋になるかで、揉めたとか揉めてないとか・・・。
活動内容
歴史的な観光地巡りだけでなく、アクティビティ型の体験が重視されています。
たとえば、沖縄ではマリンスポーツや戦争遺跡の学習、北海道では農業体験や大自然の探索などが取り入れられています。
もちろん、スキー体験もそうですし、近年はSDGsに関連した学習活動も行われています。
スマホの活用
スマートフォンの普及により、修学旅行の形も大きく変わりました。
事前調査や観光地の情報収集はもちろん、移動時の地図アプリや翻訳アプリの活用、決済もキャッシュレス対応が進んでいます。
写真や動画の撮影も簡単になり、リアルタイムでSNSに投稿する生徒も増えています。
東京ディズニーリゾートは、がっつり楽しむならアプリのインストールとディズニーアカウントの取得が必須なので、初めて訪問する生徒には、ちょっとハードルが高いようでした。
アトラクションの待ち時間チェック、食事のオーダーなど、すべてアプリに集約されるので、慣れてる生徒が有利です。
その点、我が子は全く問題ないです。
修学旅行費用
自身の時は全くわかりませんが、我が子の修学旅行費用として徴収された金額は、12万円です・・・。
入学直後から分割で積立という感じで、校納金と一緒に学校へ支払いました。
まあ、4泊5日という期間と、その内容を考えれば安いほうかなと。
修学旅行の価値は変わったのか?
時代とともに修学旅行のスタイルは変化しましたが、その価値自体が失われたわけではありません。
「集団行動」から「個の成長」へ
昭和時代は「集団行動を学ぶ場」としての色合いが強く、時間管理や団体行動のルールを守ることが重視されていました。
一方、令和時代では「個人の成長」が求められ、主体的に学び、体験することが重要視されています。
テクノロジーの進化がもたらす影響
スマートフォンやインターネットの普及により、事前調査や旅行中の情報収集が格段に容易になりました。
その一方で、「スマホに頼りすぎてしまい、人との対話や現地での発見が減るのでは?」という懸念の声もあります。
が、それはきっと杞憂でしょう。
しっかり楽しんでますよ。
まとめ
昭和時代と令和時代の修学旅行を比較すると、そのスタイルや目的が大きく変化していることが分かります。
- 昭和の修学旅行は「伝統的な観光+集団行動」が主流
- 令和の修学旅行は「多様な体験+個人の成長」が重視される
- テクノロジーの発展により、修学旅行のあり方も変化
それぞれの時代に良さがあり、どちらが優れているというわけではありません。
しかし、時代が変わっても「新しいことを学び、仲間との絆を深める」という修学旅行の本質は変わらないと考えます。
今の高校生は、コロナ禍でイベントが大幅に減った世代ですから、良い思い出になってほしいものです。
今後の修学旅行は、どのように進化していくのか、興味はありますが、まあ、大きくは変わらない気もします。
楽しくなければ修学旅行じゃない!