ポジティブに生きることに疲れた 残りの人生をどう生きたらいい?と思ったら 自分の中の常識と人生の意味
がんばり屋さんたちが、どうも最近疲れてしまっているようです。それもそのはず、もはやテクノロジーの進化が、人間の処理能力のキャパシティーを超えてしまったからです。今の世の中は、もう努力の限界を優に超えてしまっています。そんな現代で頑張りすぎてしまい、「ポジティブに生きることに疲れた」「残りの人生をどう生きたらいい?」と思い悩んでいるのなら、これからお伝えする自分の中の「常識」と「人生の意味」についての話を聞いてみてください。
がんばり屋さんが疲れてしまう現代
現代は猛スピードで変化を続けており、次から次へと新しいことに対応しながら日々を過ごすことを半ば強制されている、そんな世の中です。
ボーっとしていたらすぐに取り残されてしまいそうで、必死になって食らいつくも、あっけなくルールが変わり、また一から学び直しを必要としたり、環境への対応に追われたりしています。
そこに追い打ちをかけるように、未来への不安要素が次から次へと湧き上がり、「この先どんなに頑張っても、明るい未来など到底手に入らないのではないか」といった気持ちが湧き起こってきます。
そんな展開が早く曖昧な世の中で、これまで必死に頑張ってきた人たちが、オーバーワークだったり、メンタルの限界を超えて頑張りすぎてしまったことにより、疲れ果て元気を失いかけている。
いま、そういう人が増えているようです。
ポジティブに生きることに疲れたら
「ポジティブに生きることに疲れました」そんな声があちらこちらから聞こえてきます。
真面目に頑張る人がやる気を失くすような社会など、本来はそうあってはならないのですが、社会を変えることはなかなか個人では難しいもの。
だとしたら、自分が壊れてしまわないように、自分自身でバランスを取っていくしかありません。
そのためには、ときには考え方を変えていくことも必要です。
「頑張らなくてもいい」「頑張らない自分を許す」といったことを受け入れ、もやもやした気持ちが消えるよう、今よりも気持ちがラクに生きていけるような術を手に入れる必要があります。
きっとそれは「これまでの常識」を変えることになるでしょう。
自分の中の常識を壊す
どうして人は頑張るのでしょうか。いや、頑張らなくてはならないと思ってしまうのでしょうか。
小さい頃から、何かにつけ「頑張れ!頑張れ!」と言われ続けてきたから、頑張ることが正しいことと、頭に植え付けられてしまったのでしょうかね。
もちろん頑張ることがいけないことではないし、頑張れる人は頑張れば良いと思います。
ただ、頑張れないことがダメなことだと思う必要はありません。なので、頑張れない自分を攻める必要はないのです。
がんばり屋さんは、「充実した人生を生きたい」「人生に意味を見出したい」そんな風にどこかで思っている人が多いようにい思います。
そして、「ネガティブになっちゃ駄目だ。ポジティブに考えなくちゃ!」というように、日々自分を鼓舞して生きています。
夢や希望に向かって頑張るドラマや漫画、テレビのドキュメンタリーなどが注目され感動を生むので、自分も夢や希望を持って生きたい!それが正しい人生の過ごし方なんだと思ってしまうのかもしれませんね。
しかし、本当にそれが「正しい人生」なのでしょうか。そもそも「正しい人生」などあるのでしょうか。
「正しい人生」があると思うことが、却って自分を追い込み、辛くさせ、何もかもがイヤになってしまう原因を生んでいたりしませんか。
人生に意味などない
充実した人生を生きたいと思って頑張ることは悪いことではありませんが、「充実した人生」とは一体何を意味するかと考えてみると、「人に頑張ったと認められたい」「誰かより高いも場所に立ちたい」といった、人に対する承認欲求が働いていることがほとんどではないかと思います。
そして、アレもコレもと様々なものを手に入れようとするがあまり、どれも重要に思えて疲れてしまうのです。それって、見方によってはずいぶんと欲張りな状態でもありますよね。
でも、そんなふうに生きているのって、人間だけなんです。そして私たち人間も、所詮はただの動物なのです。
動物が生まれ、死んでいくことに、そもそも「意味」なんてないんです。つまり、「人生に意味など本当はない」のです。
だったら、つらい思いをしてまで誰かに認めてもらおうとしたり、すべてを手に入れようとしなくてもいいのではないでしょうか。
今の職場や学校が死ぬほど嫌なら、そこから逃げたっていいんです。もっと自分が居心地の良い場所へ移動するのは、むしろ動物なら当たり前のことでしょう。
人間関係だって、親子だからと仲良く暮らさなくてはと思う必要もありません。動物はすぐに独り立ちし、その後、親子で再会することもまずありません。
メディアや世間が求めるものを、あなたが手に入れる必要はないし、仕事だって住む場所だって、着る服も食べるものも、自分が良いと思えばそれでいいんです。
「こうでなきゃ」「普通はこうでしょ」と言った常識という名の幻想を、いまぶち壊して、もっと自分にとってラクで丁度よい生き方に変えてはどうでしょう。
孫子の兵法にも、「自分より強い敵と出会ったら逃げよ」とあります。これが生き延びるための賢い戦略です。
反対に、生きてさえいれば、また何だってチャレンジできます。
まとめ
ある程度の年齢がいくと、残りの寿命を考えてしまって、「今から何かをやっても意味がない」と考えてしまいがちです。
でも変な話、いずれ誰もが死んでいくわけですから、生きているうちから死ぬことばかりを考えてばかりいるのも意味がありませんよね。なので、自分がやってみたいと思うことがあれば、人が何と言おうと何歳だろうと、やればいいんです。
また、反対にやりたくないと思うことは、無理してやる必要はまるでないと思います。
ポジティブだとか、ネガティブだとか、人生の意味だとか、考えているのは人間だけで、そこに答えなんてものは、最初からないんです。
世の中の情報も知らなくて良いことばかりです。
ダメな自分でも良いので(別にそれはダメなことではないので)、もっとゆっくりと自分のペースで生きることにして、いろんな「ねばならない」を手放していきましょう。
そうすれば心にも余裕が生まれ、時には人に親切にしてあげるくらいの余裕も自然と生まれてくるでしょう。
そうやって生きれたら、死ぬときにも「まぁ悪くない人生だったな」と思えるのではないでしょうか。