インクルーシブ教育は機能してる?子どもと教師に無理強いしてない?ホントに子どもらも納得?
インクルーシブ教育ってご存知でしょうか?
障害のある児童や生徒、特別な感性や資質を持つ子ども(以下、生徒とする)を含め、全て同じ教育環境で受け入れるアプローチです。
文科省もきれい事をならべいるわけですが、実態は修羅場そのもの。
そもそも同じ環境では、お互いが馴染めるわけがないというのは、世間では認識しているものの、一部の大人が否定しまくり、権利を主張しまくって面倒臭いから、このようなことが推奨されています。
公立校の教師が辞めていく一因となっていることは、言うまでもありません。
インクルーシブ教育のメリットとデメリットを比較して、ホントに有効なのかを考えます。
もくじ
インクルーシブ教育のメリット
同じ教育環境で学ぶことができるため、生徒間の相互理解が促進され、差別や偏見のリスクが軽減されることがあります。
特別な感性や資質を持つ生徒に対して、個別のケアを必要としなくても、同じクラスにいる生徒たちがお互いに助け合いながら学ぶことができます。
障害を持つ生徒たちが、普通学級に参加することで、社会参加や自尊心、自己肯定感が向上することも効果のひとつです。
インクルーシブ教育のデメリット
教育者や学校、およびクラス担任が障害を持つ生徒に適切なサポートを提供できない場合が、多々あります。
普通学級の環境で学ぶことが苦痛に感じる生徒もいるため、学習や自己肯定感の問題、不登校の発生も否めません。
教育者が多様性を理解するための適切なトレーニングを受けていない場合、多様性に配慮することができず、差別的な行動をとってしまうことがあります。
この部分だけがニュースに取り上げられて、虐待だの教師の資質が落ちただのと、どこか偏りがちな情報だけがフォーカスされることも大きなデメリットです。
やりすぎてしまうこともありますが、そこまでしなければ「生徒を抑えられない」ことがあるという理解に貧しい人が、目くじらを立てるというパターンが多い気もします。
インクルーシブ教育の未来
メリットとデメリットを比較すると、デメリットのほうが多いのです。
クラス運営が成り立ちません。
少数のために大多数が犠牲になることもありますし、それは絶対にあってはならないこと。
やはり、きっちりと線引きして、専門スキルを持った人材を配置するしかありません。
専門スキルを持った人材の少ないことは、ハナからわかっているにも関わらず、育成を起こったことが混乱を引き起こします。
ひとりの教師に全責任を負わせようとする文科省の姿勢が続けば、教師不足も解消されないまま、崩壊に向かうことになるでしょう。
多様性というきれいごとの弊害
何でもかんでも多様性。
聞き飽きましたね。
少数がうるさいから多様性という言葉を持ち出して、なだめすかしているというのは、もう誰もが気付いています。
お蔭で生きづらい人も増えました。
関わらなくてもいい人と多様性のもとで、無理矢理関わらなくてはいけないのは、まさに地獄です。
ガーガーうるさい人は満足でしょうが、受け入れる大勢にとっては、たまったもんじゃありません。
多様性も、そのうちシンドイ原因となるということが、一般的にも理解されて蔓延し始めますよ。
マンパワー頼みの学校現場
とにかく学校現場はマンパワーありき。
言うなれば、なんとか人海戦術でどうにかなってきたわけですが、もうその戦術も随分前から空砲です。
教師不足だからです。
おまけに講師登録者も少なくなっているので、担任すらいない学校もザラにあります。
担任がいないというのは、例えば、教務主任と講師が合同で面倒を見るとか、そういうその場しのぎの作戦です。
それでもしなければ回らない現実があるわけです。
人事はコマを動かすだけですから、学校の置かれた状況なんて理解しません。
公立学校は終わりに向かっています。
まとめ
「インクルーシブ教育は機能してる?子どもと教師に無理強いしてない?ホントに子どもらも納得?」というテーマで、インクルーシブ教育について書きました。
多様性の御旗のもと、むりやり当て込むのはいかがなものかと考えます。
入学時や進級時に、
- 「インクルーシブ教育を理解して、いろいろな生徒と関わってもいいです」
- 「いやそれは勘弁してください」
のどちらかを選ぶ文書を学校に提出して、賛同している保護者と生徒だけに関わらせればいいんじゃないかと。
PTAの改革と同じで、やりたい人がやればいい。
ストレスになる生徒や保護者もいるわけだから
それを受け入れるのも多様性でしょ?
インクルーシブ教育には疑問です。
参照
共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告):文部科学省