通知表の無い公立小学校があった!子ども同士を比較することを止めた小学校の末路
これまた大胆なことをやっている公立小学校の話題です。
通知表がありません(汗)
学期末にドキドキしながら楽しみではあった通知表ですが、「あるのが当たり前」ということで、その目的や意図など、大人になっても深くは考えませんでした。
その証拠に、我が子に通知表が発行される都度、学習の成果や校内での態度など、参考にしたのは言うまでもありません。
本人も楽しみにしていましたからね。
友人同士で見せあいなんかして。
ただ気になるのは、通知表のない学校の末路です。
もくじ
なぜ通知表を廃止したのか
親族に公立小学校の教師がいるためか、学校の内部事情は他の保護者よりも知っています。
もちろん、その親族も言える範囲に留めているでしょうが、いつも嘆いているのは通知表の時期の残業です。
公務員ですから残業の概念はありませんが、学期末になると通知表の作成に23時や24時まで学校に残る教師は珍しいことではないそうです。
自宅に持ち帰ることができないので、学校で作業するしかないのでしょう。
通知表を廃止した理由は、そうした教師側の負担の軽減もあるでしょうが、あくまでも副産物に過ぎないようです。
廃止の真相は、4年前(2018年)に着任した校長の通知表へのあり方についての疑問でした。
小学校の評価方法
筆者の時代(昭和50年代)だと、各教科の評価は高い順に
- よい
- ふつう
- もうすこし
の3段階評価でした。
娘の時代(平成20年代後半)になると、3段階評価ではありましたが、
- たいへんよい
- よい
- がんばろう
という表現に置き換わりました。
通知表の効果や影響
おそらく文科省や学校の言い分としては、
- 子どもの学習意欲を高める
- 保護者への習熟度通知
- 学習へのモチベーションのきっかけ
など、意識の高い回答ばかりが目立つでしょうが、もしそうだとしたら通知表が学習のモチベーションになるなんて、夢見過ぎじゃないかと考えます。
相手は小学生です。
成績が良ければ喜ぶし、予想と違っていたら落ち込むという、シンプルな態度が出るだけなのでは?
しかも通知表は、制限の中で評価しなければならないので、教師側としては伝えたいことが評価項目になければ、その子の努力などが報われないとも言っています。
何せ親兄弟親戚は、通知表で全てを知った風に考えますから、そりゃ子どもも可哀そうですよ。
つまり通知表のない公立小学校、その点が望ましくないという点も含めて、いろいろと他の方法も試しながら、結果として廃止に至ったわけです。
小学生時代は日常を知りたい
親としての本音を言えば、テストの成績は二の次で、普段の学校生活を知りたいわけです。
もちろん我が子は毎日のように学校での出来事を話してくれますが、それでもほんの一部でしかありません。
それ意外は連絡帳や学級通信が頼りですが、それは基本的に「業務連絡」のようなもの。
つまりテストの点数や通知表だけが、子どもの評価としての受け皿というのは、ちょいとむごい話しなんじゃないかなと思いました。
結果が全てと言い切ってるようなもんです。
まとめ
「通知表の無い公立小学校があった!子ども同士を比較することを止めた小学校の末路」というテーマで、その後の学校について書きました。
通知表を廃止するという発想はなく、親としても、一応の参考にはしていました。
しかし、どこかで「この紙切れで子どもを評価するのはきついなあ」とは思っていました。
中学生になると通知表の意味あいは別物ですが、小学生のあいだは、無くていいかもしれないと、今更ながら・・・。