なんとなくミニマリスト ゆるふわ断捨離のススメ
自分が自分らしくストレスなく幸せに生きていくために、じぶんなりの「なんとなくミニマリスト」を目指しましょう。そして心がざわつきだしたら、「ゆるふわ断捨離」の決行です。
もくじ
完璧ミニマリストはツラいから
最近は、ものを極端に減らしてスといくに生きる人も多いようですが、一般人の私にはとてもじゃないけど完璧ミニマリストは目指せません。
なにしろ家族がいるので、自分一人で目指したところで、共有スペースはきっと超中途半端になってしまい、余計にストレスが溜まりそうです。
なので初めから「ゆるふわ断捨離」もしくは「なんとなくミニマリスト」を目指すことにします。
いずれにせよ、これからの時代、ものは少ない方がいいと思っています。
ただ、自称マルチクリエイターなので(笑)、どうしても工具とか材料とか楽器とか、そういったものがある程度あるのは否めません。
そこを取っ払っちゃうと、自分の中のアイデンティティが崩壊してしまうので、これらはサンクチュアリとして残します。
つまり、余計なものをなるべく排除し、自分にとって本当に大事なものの実を残すというのが、私の中のなんとなくミニマリストですので、そこのところひとつよろしくです。
そもそもミニマリストとは?
まずはじめに、ミニマリストの定義について、確認しておきたいと思います。
ミニマリストとは、マキシマリストの対極に位置するもので、限りなく少ない持ち物で生きていく人のことを指します。
佐々木典士さんの著書『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』という本には、
- 本当に自分に必要なモノがわかっている人
- 大事なもののために減らす人
とありました。
持ち物が100個以上あるからミニマリストじゃないとか、テレビを持っていたらミニマリストじゃないとか、そういう定義はないそうです。
他人の目線を気にした「欲しいモノ」ではなく、自分が本当に必要なものが分かっている人。大事なものが何か分かっていて、それ以外を減らす人。だそうです。
ということから考えると、私の目指すところも十分にミニマリストと言えるのかもしれません。
ミニマル化するのはモノだけじゃない
現代においては、モノだけを減らしていっても、人生をシンプルにするこのは難しいかもしれません。
それは、膨大な情報が私たちのまわりを取り巻いているからです。
仮にテレビを捨てたとしても、インターネットを通した情報もあればSNSもあります。
むしろ、今はこちらの方がテレビなんかよりもよっぽど頻繁に接触し時間を奪っていくかもしれません。
なので、ミニマル化するうえでは、こうした情報の断捨離も必要となります。
自分にとって大切な人以外との関係は断ち、コミュニケーションの方法も考えながら、自分時間を阻害されない方法を考えましょう。
ミニマリズムが目指すもの
そもそも何故ミニマリストを目指すかというと、生きていると知らず知らずのうちに、自分の身の回りに多くの物があふれ、情報が氾濫し、気づけばそういったものに囲まれ、本当に大切な物事に費やす時間がなくなってしまうからです。
それどころか、最新情報ばかりを追い、人が欲しがるモノばかりを追っていると、本当は何がしたいのかさえ分からなくなってしまいます。
なので、他人の目を気にせず、つまり承認欲求を満たすのではなく、自分地地自信が信じる大切なものを軸として生きるには、モノや情報を手放し、選択肢を減らした状況を意図的に作るしかないわけです。
限りある時間やお金を、自分が決めた本当に大切な物事にのみ使う。
それができることで、幸せを実感する。
そのための手段としてのミニマリズムがあり、自分ならではのミニマリストを目指すわけなのです。
まとめ
自分にとって何が大切か分かっているつもりでも、ときどき心がざわざわと落ち着かなくなることがあります。
そういう時はきっと、部屋の中にモノがまた増え始めていたり、本当は必要としていない余計な人間関係ができて、そうしたモノたちが、あなたにごちゃごちゃと話しかけているはずです。
なので私たちは、定期的にゆるふわ断捨離を決行して、必要な物以外を排除すべくミニマル化をする必要があるのです。
心のざわつきに耳を澄まし、気づいた時が「ゆるふわ断捨離」の合図であることを思い出してくださいね。