50代になって手放したほうが良いもの 私はこれを手放した!パラダイムシフトで人生の後半を生きる
50代になったら、徐々にいろんな物を手放し身軽になっていったほうが良いように思います。例えばどういった物を手放すと良良いのか、また実際に私は何を手放したかなどについてご紹介します。50代をひとつのターニングポイントとし、パラダイムシフトをして人選の後半戦に臨みましょう!
50代は人生の転換期
人生100年時代とは言え、人生50代にも入ると、折り返し地点もとっくに過ぎています。
日本人の健康寿命の平均は、男性が72.68歳、女性が75.38歳だそうですから(2019年の時点で)、いま50歳だとしても、いろいろとできるのはあと25年くらいとでしょう。
若い頃は、あれもやりたい!これもやりたい!と思って生きてきたものの、50代になったいま、あとどれくらいのことが達成できるかと言うと、意外にもそう多くないということに薄々感づいてきています。
であるならば、残りの人生で全部やってやろうと思ったところで、おそらく上手くは行かないいでしょう。
それは50代の10年間が、40代の10年間よりももっと早く過ぎ去るからです。そしてさらに言えば、60代や70代の10年は、更に早く過ぎ去るわけですから。
であれば、この先の25年で「何をやりたいか」「何を手に入れたいか」を、一度頭の中で吟味し厳選する必要があります。
そして本当に自分にとって本当に「やりたいこと」「手に入れたいも」の1つか2つ選び、そこに集中していくことが最適解かと思います。
これもある意味、出口戦略を考えた終活の1つですね。
50代ってそういった意味では、最期の夢に向かってスタートを切る1つのターニングポイントだと思います。
50代になって手放したほうが良いもの
この先本当に「やりたいこと」「手に入れたいもの」のためにも、50代からは少し身辺整理をしていきましょう。
つまり、もうこの先の人生で「これはいいかな」「もう十分かな」と思うものは、徐々に手放していくことを始めるべきです。
そうすることで、75歳までに達成したいことや手に入れたいもののためのスペースを作るのです。
手放すのは、モノだけでなく、これまでの人間関係、こだわりといった執着なんかも、できるだけ手放したほうが良いでしょうね。
人は身軽になると、余裕が生まれます。体力も気力も落ち始める50代にとって、こうしたスペース(余地)を作ることは大事だと思います。背負ってる荷物を減らすのです。
実際に手放した方がいいものの例としては、
- 衣類
- 本
- 写真
- 趣味
- 人間関係
- こだわり
といったものです。
なかには「無理、無理!」と思う人もいるかも知れませんが、別に一気に手放す必要はありません。
もういいかなと思う部分から、少しずつ手放せばいいわけです。
例えば、ずっと取っておいた年賀状の中にも、よく見たら捨ててもいいと思えるハガキがあるはずです。
写真でもしかり、洋服もしかりです。そういったものから手放していけばいいだけです。
この手放す作業は、季節のイベントごとに行うといいかもしれません。
たとえば、年末に年賀状を少し捨てるとか、年賀状を出すことを今年でやめるだとか。
また季節ごとの衣替えのタイミングで、もうあまり着ないであろう服や靴、小物などを手放す。
10年着なかったなんていう服であれば、一気に捨ててもいいかもしれませんね(笑)。
こうやって、毎年そういったタイミングで少しずつ手放していけばいいのです。
50代で私はこれを手放した
私も50代に入ってからいろんな物を少しずつ手放しています。
多趣味だったので、おそらく人一倍、モノは多かったように思いますが、以前と比べるとだいぶ少なくなりました。
手放したものとしては、まずは洋服です。
洋服の趣味は今も昔もさほど変わっていないし、体型もほぼ変わっていないのですが、「まだ着れるし。いつか…」なんていう気持ちで取っておいた洋服は、全て捨ててしまいました。
穴が空いたジーンズもいつかリペアして履こうと思ってずっと取っておいたのですが(結構ビンテージ的な価値がある)、それはやりたいことの優先順位としては低いです。
なので思い切ってすべて処分しました。
ついでにもう着ないであろう革ジャンや革パンも手放しました。
まだ着られるTシャツや靴下なんかも、最低限の枚数を残し処分しました。
何枚も持っていて、結局は気に入ったものしか着ませんから、お気に入りが数枚あれば事足りるのです。
しかもどうせまた新しいものも欲しくなりますからね。
そうやって洋服は、以前の3分の1くらいまで減らしました。おかげで押し入れのなかもスッキリ!持っているアイテムも把握できています。
今では、新しく服を買うと代わりに何かを捨て、トータルの量は増やさないようにしています。
年賀状を出すのもやめました。そしてずっと取ってあった年賀状も、本当に残したいもの以外は処分しました。これもおそらく年々減らしていくと思います。
写真は数年前から手元に残すのをやめました。若い頃にやっていたスノーボードも処分しました。大量にあった本も、いま少しずつ処分しています。図書館に行けば読めますからね。
そうやって部屋の中に少しずつスペースができてくると、気持ちも軽くなってくるから不思議です。
モノ以外だと人付き合いも無理して付き合うことをやめました。
以前はあまり乗り気でない誘いなどにも、今後の関係などを考えて多少乗り気でなくても参加していたりしたのですが、今は気持ちが乗らない時には行きません。
それで疎遠になってしまったのなら、そこまでの縁だったと割り切るようになりました。
これだけでもかなり肩の荷がおりてラクになりましたよ。
価値観のパラダイムシフトで人生後半を身軽に生きる
いま50代の人たちが20代だった若い頃は、バブル真っ盛りで日本はとても活気に満ち溢れていました。
その頃からやたらと日本人はブランド志向になり、やたらとモノを所有することに喜びを抱くようになり、贅沢や高級品こそが最高だといった価値観が根付いていきました。
しかしその後バブルが崩壊し、失われた30年が経過したいま、その価値観も徐々に薄れ、所有することよりも、むしろ持たないことに魅力を感じる人が増えてきているように感じます。
というのも、モノを減らし、しがらみを減らせば、拠点を地方や海外などに自由に移すという自由度が増すからです。
そう、もうバブルの頃の価値観とはさよならをするときなんです。
加えて人生も後半戦に入ってきたなら、なおさら身軽にすることで、フットワークを軽く生きていきたいじゃないですか。
体が重くなってくる(体力や気力が落ちる)からこそ、少しでも他のものを手放して、身軽にあったほうが生きやすいと思うのです。
まとめ
先日もアラフィフ男女が4人集まり、段ボール箱をテーブル代わりにスーパーで買ってきたお惣菜をつまみに酒盛りをしました。
本当はお店で飲む予定だったのですが、なんとなく流れでチープな飲み会となったわけです。
しかし、結局どこで何を食べるかというよりも、誰と食べるかということの方が大事なんだということを、みんなで再認識した会となりました。
みんなが口々に「これで十分!」といっていたのが、とてもおかしかった。
最近、自分も友人とは宅飲みをする機会が増えましたが、気心の知れた人と飲む楽しさは店で飲んでも家で飲んでも変わりません。
だったらチープな方がいいじゃん!って感じです。
さんざんおしゃれな店で美味しいものも食べてきました。しかし50歳を過ぎた今はもう、そういったものは求めていないようです。
こうでなくちゃというこだわりも、少しずつ手放して、基本は「足るを知る」でいきます。
ただ、まだ「これだけは!」という思いのある1つか2つについては、じっくりと取り組んでいきますよ!