お盆や年末の帰省でストレスなのは帰省先との相性だけじゃない?食べることを強制する食ハラかも!?
お盆を前にして帰省ラッシュがはやくも始まっています。
行動制限もないことから、多くの人が遠くの実家へ、空路と陸路で移動していることでしょう。
帰省を楽しみにしている人もいれば、相当に憂鬱に思っている人もいるはずです。
行動制限が無いことを理由に、帰ってこいの大合唱が、そこら中で響いているかもしれませんね(汗)
さて、楽しみにしている場合は良いですが、憂鬱な人はなぜなのでしょうか。
一説には、有り余るおもてなしが苦痛に感じる人もいるようです。
もくじ
田舎のもてなし
田舎という言い方は失礼かもしれませんが、大体、帰省先は長閑な場所をイメージします。
実家あるいは義実家では、今か今かと気合を入れて待っていることでしょう。
特に孫に会えることを楽しみにしているケースでは、その張り切りようもハンパないと言いますからね。
だけども子どもにとっては、普段とは環境が違うこともあり、昔と違って遊び方も変化しているために、必ずしも満足度が高いとは言えないかもしれません。
ネット環境もない帰省先だと、翌月の通信料が怖いという家庭もあるのではないでしょうか。
その一方で、田舎のもてなしは物量にモノを言わせることが多い印象です。
個人的にも、そのような印象が非常に強くあります。
とにかく食べろと言われる辛さ
田舎のもてなしは、とにかく「食べさせる」ことで成り立っていると言っても過言ではない部分もあります。
張り切ることは構いませんが、必要以上の食べ物が食卓に並んでしまっては、誰しも食傷気味になります。
- 若い時は何でも食べろ
- 食べないと身体が丈夫にならない
食べるモノが無い時代ならともかく、今は飽食の時代であり、ましてや食べ過ぎは良くないとさえされている中で、時代に逆行していることを強要されることでストレスを感じる世代も少なくないようです。
普段、食べ慣れないものは、大量に食べられません。
味付けなども違えば、同じ料理でも美味しくは頂けないでしょう。
残す罪悪感は感じなくてよい
食べ物を残すのはダメだ、勿体ないことをするもんじゃない、といったことは昔から言われてきましたが、前述したように、今は飽食の時代です。
残さず食べることは決して美徳ではありません。
無理せず、美味しく食べることが、現代の食に対する美徳です。
しかし一方ではコンビニの廃棄問題は残っていますが、食べることを強要することの理由にはなりません。
ましてや「○○の国は食べるものにも困っている」など、他の国を引っ張り出して食べさせることも、国の貧困問題とは一切関係ないことです。
どちらかと言えば、その手の話を持ち出すのは脅迫に近いものがあります。
だから田舎はイヤだと言われても仕方がありません。
ましてや子ども(孫)に強要するのは、全くもって筋違いとも言えます。
食べろに対する断り方
食育の概念すらないようなお年寄りは、とにかく、たくさん食べることが健康の秘訣、好き嫌いせずに残さず食べることが刷り込まれていますから、上手く断る方法も難しいという悩みもあるでしょう。
しかし、きっぱりと断らないと、ズルズルとツライ帰省を送らねばなりません。
ましてや我が子にまで影響しているのならば、ウジウジせずに断ることも親の役目です。
断り方としては、
- 食べきれない
- 学生のように量は要らない
- 飽きてしまうのが怖い
- 食べ過ぎると気持ち悪くなる
いろいろと断り文句はあります。
せっかく作ってくれたからという理由で、何も言わなずストレスを抱え続けるほうが、かえって心身に良くないことです。
嫁の立場などが引っかかるのであれば、旦那さんに助け舟を出してもらいましょう。
旦那が頼りない場合は、理由を旦那に告げて次回から帰省を遠慮すればいいだけです。
食事までコントロールされる筋合いはありません。
食事ハラスメントに巻き込まれないようにしましょう。
まとめ
「お盆や年末の帰省でストレスなのは帰省先との相性だけじゃない?食べることを強制する食ハラかも!?」というテーマで、食ハラについて書きました。
食事ハラスメントなる造語も出てきたのかと思いましたが、確かに、そういうことは誰しもあるのではないでしょうか。
帰省先だけでなく、会社の上司などから「若い時は食べなきゃダメだ」など、訓示にもならない言葉を吐かれたこともあるのでは?
そういうのは本人のさじ加減に任せておけと言いたいわけです。
他人が食事のコントロールするのは、刑務所や病院などがありますが、日常生活においては余計なお世話であると言いたいものです。