8時間労働の根拠とは?働く意義の昔と今で決定的に異なる考え方は労働時間よりリターンと納得
令和になってから、働く意味や価値観も大きく変化しています。
かつては「労働=生計を立てる手段」という考え方が主流であり、労働時間が一定であることが社会的な基盤とされていました。
しかし、今日の若者たちは、働く意味や働き方に対する期待が、従来のものとは変わってきつつあります。
決められた労働時間内で賢明に働くのではなく、仕事から得られるリターンや納得感に重きを置き、それが真の働く意義を主張している面も否定できません。
そこで今回は、特に20代の社会人男女を対象に、労働時間に焦点を当てつつ、若者たちが求める理想的な働き方について考えます。
なぜ8時間労働が一つの基準とされるのか、そんなシンプルな疑問から、令和時代の新たな労働価値観についても言及します。
もくじ
8時間労働の根拠
働き方に対する期待や価値観は、大きく変わって当然だと感じます。
8時間労働は、一つの社会的な基準とされましたが、その根拠はどこからきているのでしょうか。
一説によると、産業革命時代のイギリスが発祥とされています。
当時は、子どもを含んだ労働者が、1日に10時間超も働かされていました。
その状況を重く見た経営層が、1日の24時間の中で、
- 仕事に8時間
- 休憩や睡眠に8時間
- その他の活動に8時間
といったことを掲げてから、8時間労働が浸透したとされています。
ちなみに日本国内での8時間労働を制定したのは川崎造船所で、1919年のできごとです。
それ以来、変わってないのも怖いですけどね・・・。
労働時間よりも大切なもの
20代の社会人たちは、働くことで得られるリターンや経験、やりがいに焦点を当てています。
8時間という時間の拘束よりも、成果や自己成長に価値を見出す傾向が強まっています。
これは、働く意味を時間に捉えるのではなく、その中で生み出される成果や満足感に注目する新しい視点の表れです。
若者に限ったことではなく、その他の年代の一定数は、共感を得る可能性もあります。
より柔軟性や効率性を重視した働き方を実践している企業は、やはり活気があります。
具体的には、リモートワークやフレキシブルな労働条件の制定、時間の制約を超えた新しい働き方の導入です。
時間ではなく成果
8時間という枠組みであれば、勤務したという実績が評価対象になりがちです。
成果は二の次で、真面目に働いたという定性的なことが基準となれば、下手すると手抜きしてもバレないわけです。
もしくはがんばったフリさえしていれば、あいつは真面目だと見られます。
そんな社員、大企業になるほどたくさんいることは確かです。
実際に、見ましたからね。
成果を軸にすると、同じゴールに辿り着くまでに、6時間で達成する人もいれば、2日ほど掛かってしまう人もいます。
それでよいではないですか?
リミットを設けて、時間なんて本人に任せれば、マネジメントも楽になる気がします。
ただし、ゴールできなければ、それなりの賃金しか支払わないということを条件付けすると、それこそがモチベーションになることでしょう。
8時間は上限
そもそも論ですが、1日8時間というのは、現行法で言うところの上限なんですよね。
もちろん補足として、
労働時間が6時間を超える場合は45分以上、8時間を超える場合は1時間以上の休憩を与えなければいけません。
と厚生労働省のサイトにも書かれています。
その他にも、さまざまな労働に関することが制度としてまとめられているのですが、日本にいる限り、かつ雇われるとなったならば、この法律に縛られるのはしかたのないこと。
あれこれと自分の理想とする働き方を、会社に求めたところで限界はあるわけです。
実現が無理なら、個人事業主やフリーランスとして、生きていくことが、今の段階゛てはベストな選択肢ではないかと考えます。
収入の安定より、やりがいとか納得感が重要だと言うのであれば、雇われることでは実現不可能です。
まとめ
「8時間労働の根拠とは?働く意義の昔と今で決定的に異なる考え方は労働時間よりリターンと納得」というテーマで、働き方について書きました。
若者が望む働き方は、理解はできます。
だがしかし現行法のもとで、就職という道を選んでしまえば、それは絵に描いた餅となる可能性は高いです。