自分の引き出しに無い情報に出会うとSNSで「誰?」「知らない」とコメントする人は孤独感から?
SNSやYahooのコメントなどを見ていると、不思議に思うことがあります。
例えば初見の情報や自分の脳内に無いことについて、わざわざ、
- 知らない
- この人誰?
と書き込んでいることです。
さっさとググれば良いじゃないかと思うのですが、この現象は何なのでしょうか?
個人的には情弱を自白しているような印象なんですけどね。
そこで今回は、このように全く理解できない現象について、独自の見解を述べてみたいと思います。
ただ思考が幼稚なだけかな?
幼児と同じ反応
最近のニュースで取り上げると、M-1グランプリの審査員が2名、刷新されました。
- 勇退:オール巨人氏、上沼恵美子氏
- 加入:山田邦子氏、博多大吉氏
特に山田邦子氏への反響は大きいようで、30代より若い人は確実に記憶にない存在だと思いますが、50代からするとバケモノ的な人気を博した女性芸人さんのむひとりです。
はっきり言って天下を取ったことは間違いありません。
しかもピン芸人として。
当然、当時の記憶もありますから、審査員としては申し分ない存在だという印象です。
しかし若い人が「誰?」「知らない」というつぶやきや書き込みをしているのだと推測しています。
まるで幼児の反応と同じ(汗)
幼児って知らない人に向かって「だれー?」って指さして言いがちでしょ?
あれと同じなのだなと個人的に捉えています。
調べることより随意反射
内容の質はともかく発信がしたくて堪らないのでしょうね。
ちょっとでも何か言いたい、つぶやきたい、SNSと触れあっていたいという病的なまでの依存が随意反射を生んでいる気がしてなりません。
大半の人は、何か発信したところで大した影響はないし、逆に、発信しなくなっても心配されることはありません。
という存在なのに、そこまで依存する理由は何なのでしょうか?
このような随意反射コメントは非生産的で、時間をロスしているのと同じという考え方ができない?
確かにSNSでの発信は任意で自由度も高いわけですが、タイパを気にするクセに、ムダな随意反射的コメントは繰り出すという矛盾が気になります。
目的不明な引用リツイート
Twitterでは、一言二言を投稿する人もいますよね。
それ自体は否定しませんが、例えば、知らない人のニュースを引用して「誰?」「知らない」と書いてリツイートする意味がわかりません。
誰に対して言っているのか?
どういう目的なのか?
多分、何も考えてないことが大半以上とは思いますが、これが積み重なっていると思うと実に勿体ない時間を過ごしていると言わざるをえません。
SNSに関する論文のひとつを取り上げると、
frequent usage of Twitter was associated with distress symptoms or feelings of loneliness across all three age groups.
(Twitter の頻繁な使用は、3 つの年齢グループすべてで、苦痛の症状や孤独感と関連していました。)
と結論付けられています。
ああ、孤独を紛らわしている面もあるのだなと・・・。
それにしてもねえ・・・。
誰でも発信できるデメリット
インターネットが普及する以前、公衆に向かって情報を発信できるのは、限られた人だけでした。
ゆえに、伝えるためのスキルやわかりやすい文脈など、発信についての知的な素養というものが弁えられていたわけです。
ところが誰でも発信できる時代では、話し言葉で捲し立てたり、陳腐な内容でも多様性という「面倒臭い」言葉を免罪符にして、どんどん出てくるわけです。
だから情報の信ぴょう性も問われ、受け取る側も目利きが重要になってきています。
幼児のような随意反射の「誰ー?」という反応も「恥ずかしい」投稿とはならないわけですね。
まとめ
「自分の引き出しに無い情報に出会うとSNSで「誰?」「知らない」とコメントする人は孤独感から?」というテーマで、幼児的な随意反射のSNS投稿について書いてみました。
「誰?」と書き込む前に調べたらいいんじゃないかと思うんですけどね・・・。
こういう随意反射的な人間が職場にいたら、間違いなく鬱陶しい(汗)
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