公立小学校のトイレ掃除を児童にやらせる必要性はどこに?トイレを磨くと心も磨かれるウソ

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人生、50年も生きていると、子どもの頃に当時の大人が「したり顔」で言ってた言葉は、全く意味が無いことを知ることもあります。

例えば、

  • お前のためを思って
  • 大人になって役に立つ
  • 将来のため

この3つは、ほぼ、100%に近い確率で何の説得力もない言葉と言えます。

共通するのは、不確定な未来に対して、漠然としたことしか言ってないことです。

はっきり言って、どの口が言うのか、というぐらい空っぽで具体性がありません。

個人的な感覚では、大した学歴を持ってない人が、なんとか「よく見られようと背伸びした発した言葉」の印象でしかないのです。

小学生って大人の言葉に影響されますから、真に受けた子どもは悲惨です。

似たような感覚なのは、学校のトイレ掃除にも言えます。

学校のトイレ掃除

あれって、必要ですか?

トイレを磨けば心が磨かれる、といった電波的な言葉を何度、聞かされたことでしょうか。

修行ですか?

そんなもん、業者に任せたほうが、

  • 衛生
  • メンテナンス
  • 経済

といった面からも、相当に効果があると思います。

どこかの地域では「便教会」と称して、2時間近くもトイレ掃除をさせるという特殊イベントが実施されているとか。

これを、ある地域の公立学校が主体となって、定期的に実施しているというのですから驚きです。

またヘンなことを強制させるのだな、というのが第一印象でしかありません。

「教育的に意義がある」

こう説いて、やらせているのが目に見えます。

具体的なことは一切発しない、非常に胡散臭く、説得力の欠片もありません。

子どものトイレ掃除は、週に1度、週末で充分であり、あとはシルバー人材センターに登録している元気なお年寄りに任せるほうが、よろしいような気がします。

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教育的意義という黒魔法

この魔法に掛かる人って、結構、いますよね・・・。

先の「便教会」においても、時には素手でやらせるという時代錯誤的なことも厭わずに、いけしゃあしゃあと、トイレ掃除によって、

  • 謙虚になれる
  • 気付ける人になる
  • 感受性を育てる
  • 感謝の心が芽生える
  • 心が磨かれる

ということを挙げているだけでなく、トイレ磨きは自分磨きで、果てはSDGsにも通じるとまで言っています。

宗教?

このような「きれいな言葉」を並べ立てるのは、これらの活動の特徴ですよね。

何を以て、そのようなことが言えるのか、全く根拠も示さないですし、成果として定期的に発表することもしません。

ただ主催側一方的に発信しているだけで、人を集めてワチャワチャやっているだけです。

社会人のトイレ掃除

全社を挙げてトイレ掃除をやろう、という会社、昔は多かったようですが、今はほとんど聞きません。

少し前に、中小企業の社長が自ら率先してトイレ掃除をするというのが、なぜかブームとなりました。

それも短期間で鎮火したわけですが、社長の仕事は先頭に立って経営方針を掲げて、事業の指針を社員に知らしめることが仕事で、トイレ掃除ではないと悟ったからだと考えます。

プロの清掃業者に依頼する方が、どう考えても合理的だからというのは、誰がどう考えてもわかりますし。

もしもトイレ掃除に、前述した効果があるのなら、子どもだけじゃな法人向けに啓蒙すべきでは?

でもやらないのですよね・・・。

ある意味、世間知らずの教師と子どもを相手にするほうが、取り込みやすいという実情もありそうな気がします。

つまり、それとなく教育的意義を掲げていれば、あっさりと教育現場で受け入れてもらえるという目論見があるのでは?

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小学校のトイレ事情

今の公立小学校のトイレ事情、ご存知ない方に向けてお伝えします。

昭和の頃は、タイル貼りが多かったことから、ホースで水をまき散らせば簡単に汚れが落ちて、水による消臭効果もあったのです。

個室も和式だけしかありませんでしたから、とにかく水を撒いておけば充分でした。

ところが直近に改修、あるいは開校した公立小学校のトイレは、

  • 壁が防汚シート
  • 床も防汚シート
  • 個室には洋式便器+温水便座

という仕様のため、水をぶちまけての清楚方法ができなくなっています。

ゆえに、拭き掃除が主流となり、使用建材も現代的ながらも、ニオイは全く取れないという、最悪な環境にもなり兼ねない空間になっているのです。

水が充分に使えないのは、非常に痛い・・・。

我が子は途中から新設校に移籍しましたが、トイレは見た目きれいで機能的でも、ニオイはまったく改善されないし、掃除もしにくいとこぼしていました。

だから便器を素手で二時間磨くことよりも、トイレという空間全体を考えて、何をやるかが大事な気がします。

あまりにも便器に固執するのは、近視眼的過ぎる印象でしかありません。

それなのに、大層な言葉を述べたところで、誰が信用できますかって話しです。

児童がトイレ掃除するのは当たり前って、それホントに教育に必要か?

精神修養のような定義づけが曖昧なものは、もう、必要ない。

まとめ

「公立小学校のトイレ掃除を児童にやらせる必要性はどこに?トイレを磨くと心も磨かれるウソ」というテーマで、小学校における特殊なトイレ掃除の実施について個人的見解を述べてみました。

トイレ掃除は物理的に汚れを取らなければならないため必要なものですが、それを教育にこじつけることが、気に入らないですね。

しかも心が磨かれるって、洗脳の何物でもない。

小学生は実質的に教師から言われたことに対して、拒否権が無い状況なわけですから、もし2時間の素手でのトイレ掃除が頻繁にあるのなら、それは行き過ぎた行為です。

それがマジで教育に役立つ、人間形成に一役買うなんて考えてるのなら、公立学校に未来はありません。

便乗する教師もヤバい気がします。

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