小中高校の水泳授業って何の意味があるの?時代遅れも甚だしく建設的理由の無くば即刻中止に!

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小中校と水泳授業を体験しましたが、いまだに、その理由や意味がわかりません。

ぶっちゃけ必要ですか?

何のために水泳授業をやるのか?

きっと答えは「校舎にプール設備があるから」という頭の足りない理由を並べ立てる大人が見えます。

昭和の時代でさえ、水泳授業の意義は知らされていないですし、ただ「やらされていた」だけに過ぎません。

子どもが楽しめばよいという問題でも無いのです。

そこで今回は「水泳授業」という教諭の貴重な時間を奪うだけの授業廃止について提言するものです。

水泳授業の始まり

水泳授業が日本の学校教育に導入されたきっかけは、明治時代の初期に遡ります。

当時の日本では、洋式の教育体系が導入され、体育活動の重要性が認識されました。

また、海洋国家である日本においては、水に慣れることは安全面や災害への備えとしても重要であると考えられていたのです。

何だろう、日本が危機に陥ったときは、泳いで国外へ脱出をしろという意味があったのでしょうね。

脳筋が考えそうなこった。

災害への備えなんてのは完全なる欺瞞(欺くこと)であり、何の効果もないことが、これまでの災害が証明しているではありませんか。

いい加減、水泳授業は無しにすべき。

教師もそっちの方が楽だと声を揃えて言うはず。

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健康促進

水泳は全身運動であり、心肺機能を向上させるだけでなく、筋力や柔軟性を発達させます。

水の中での運動は負荷が少なく、関節や筋肉への負担が軽減されるため、怪我のリスクも低減されます。

というか運動の機会は水泳以外でも可能ですが、そもそも日常生活において水泳の必要性を感じるシーンは全くありません。

夏の海水浴は、熱中症や過度の日焼けを誘発するものとなり、さらには水難事故を誘発するものです。

川での遊泳で溺れる10代も続出しており、中途半端に水泳を教えるぐらいなら、そのような場所での遊泳のリスク、ましてや学校レベル授業で安全は確保できないことを伝えるべきでしょう。

そんな中途半端な指導が、水難事故を招いている要因もゼロではないと考えています。

水難救助のスキル習得

当初は、このような目的もあったでしょうが、現状は何メートル泳げるかという点が評価軸になっているため、この目的はどの学校でも達成されていません。

これこそ究極のカッコつけ。

意識高い系が気取って発言して、悦に浸っているだけ。

水難事故を未然に防ぐための基礎的な水泳技術を習得する機会と、意識高い系は言うかもしれませんが、全然できてないですよ、きっと。

結果も出てない。

スキル習得より、危険予知を訓練したほうがよいです。

これをやったらどうなるのか理解できない、あるいは想像できない人が多いということは、YouTuberがしでかす非常識な行動を見ていればわかるではありませんか。

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男女が同じプールで授業

令和時代において男女が同じプールで授業を受けることについては、さまざまな観点から論じられています。

ジェンダー平等の観点が、まず筆頭でしょうか。

男女が同じプールで授業を受けることは、ジェンダー平等の観点から望ましいとの意見もあるでしょうが、当人らからすると、決してそうではないかも。

同じ時間にひとつのプールで、男女が授業を受けることに抵抗を感じる学生がいるのならば、いくらきれいごとを言ってもダメでしょう。

性別による差別、偏見とかじゃなく、生理的に嫌なものはイヤだと感じる人がいるわけですよ。

それを理屈で丸め込んで放り込むのは、違うんじゃないか?

プライバシー問題

プールでの授業では水着を着用しますが、やはりプライバシーの問題は避けて通れません。

学生たちの個々のニーズや感じ方に配慮し、プライバシーを尊重するために、必要な対策や配慮が絶対に必要です。

まとめ

「小中高校の水泳授業って何の意味があるの?時代遅れも甚だしく建設的理由の無くば即刻中止に!」というテーマで、意味のない水泳授業を取り上げました。

高校生の我が子は、水泳授業がないので、非常に喜んでいます。

一方、他校の友人らはほぼ全員が「憂鬱」だと言っていること。

これが現実ですよ、教育者のみなさん。

参照

水泳等の事故防止について(通知):スポーツ庁

学校体育実技指導資料第4集「水泳指導の手引(三訂版)」

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